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[88] 北海道 道央 支笏洞爺 北海道のイワナといえばオショロコマ 2002.5.31
日本では北海道にしか生息しないイワナがオショロコマである。カラフトイワナに分類されるオショロコマだが、然別湖のオショロコマはその中でも固有のものとされている。僕がオショロコマを釣ったのは知床は羅臼で、ここのオショロコマは降海する

田口哲さんと魚図鑑を作成している時に、できれば生息場所ごとに魚を分類できないだろうかと相談したことがあった。つまり湖、渓流、汽水域など、生息地ごとに魚を分類できないかという意味である。田口さんは、結論として、例外は必ずあるので、厳密な分類は不可能だと述べられた。そう言われて、オショロコマが河口にいたことを思い出した

オショロコマはイワナであるので、北海道の渓流に主に生息する。しかし汽水域近くでもオショロコマはいるのだ。僕は1985年の夏、羅臼で身をもってそれを体験していた

羅臼町営キャンプ場でキャンプしていた僕は、毎夕、熊の湯に出かけた

熊の湯は、羅臼町に住む有志の方々が作った温泉だ。無料で観光客にも開放してくれているが、そもそも地元の方達がくつろぐために、お金を出しあって作られ、維持管理しているものだ。だから旅人は感謝の気持ちを忘れてはならない

熊の湯の温泉で一風呂あびた後に、温泉の隣を流れる渓流で釣りをするのが楽しい。ブドウムシをつけ、ポイントに投げ込むと、ぐっぐっぐと、すぐにオショロコマがかかる。入れ食いに近いほど、よく釣れた

羅臼の海岸近くで遊んでいる子供たちに、どこで磯遊びをするのか聞いてみたら、皆ぽか〜んとした顔をしていた。磯遊びなど、誰もしないのだそうだ。磯場に出てみて、その意味がわかった。磯には小さな巻貝しかいないのだ。磯の香りすらしない。北の海という現実をすっかり忘れ、三浦半島のつもりで、磯遊びをイメージしていた自分が恥ずかしかった。この時、河口で泳ぐオショロコマを確認したのだった

羅臼町は不思議な町だった。宇登呂と比較してもガソリンはずっと高い。そしてスナックなどの飲み屋の値段は、一晩で10万円ほど飲み代にかかる、銀座なみに高い店があるのも事実だった。これはぼったくりではない。当時、日本で消費される魚の1/3を支える羅臼の漁師達は高給取りだった。自宅にエレベータのあるスケソウダラ御殿も少なくない。僕等は町営キャンプ場に5日間もいたせいで、地元の居酒屋のお兄さんと仲良くなった。彼は羅臼の子供たちに少林寺拳法を教えにキャンプ場に来ていたのだ。彼は毎日、毛蟹とイカの差し入れを持ってきてくれた。それも発泡スチロールの箱ごとである。もちろん家族で食べきれる量ではない。キャンプ場にいる人達にくばりまくっても、まだ余ってしまった。それを察知してか、毎夜、キタキツネがテントまで訪れた

また、氷をもらいに羅臼の漁協に出かけた時のことだ。氷を無料で分けてくれたばかりか、なんと折り箱にぎっちりと入った高級タラコまでいただいてしまった。かように、羅臼の方達は気前がよいのであった

写真は支笏湖から札幌に向かう途中の、とある渓流で釣りをしていた人をスナップしたものである。車から降り、しばらく釣りを観察させてもらっていた。すると小型の魚がヒットした。直感でオショロコマではないかと思い、カメラを抱えて釣り人の所まで走った。そして釣り上げた釣果を見せたもらった。間違いなくオショロコマだった。久々の再会だ。小型ではあるが、美しい魚だと思う
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[89] 北海道 道央 支笏洞爺 花崗岩地帯を流れる三階滝 2002.6.5
支笏湖から美笛峠の滝笛トンネルをぬけると大滝村に出る
ここまで来ると洞爺湖も、もうすぐそこだ

長流(おさる)川沿いに洞爺湖に向けて走ると、途中、三階滝川が合流する
この川を東に入り、上流に向かうと三階滝公園に出る
滝は三階滝公園からすぐ、橋の上から目前に眺められる

三階滝の特長は、滝の落ちる個所の岩が花崗岩であることだ
写真では、滝の流れの中で岩が露呈しているところがそれだ
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[90] 北海道 道央 支笏洞爺 洞爺湖の初夏はヒメマス釣りで始まる 2002.6.5
大滝村から長流(おさる)川に沿って下り、壮瞥町で長流川に別れを告げ、壮瞥川沿いに走ると、洞爺湖に出る。洞爺湖を西に走ると、壮瞥温泉を経て洞爺湖温泉に到着する


洞爺湖では、毎年6月1日がチップこと、ヒメマス漁の解禁日にあたることが多い


この日から夏が終わるまで、ヒメマス釣りの乗合舟を湖上に見ることができる。湖岸から釣船を眺めると、40cmオーバーのチップをゲットしようと、力んでいる様子が伝わってくる

2000年3月31日の有珠山噴火で、洞爺湖に大量の火山灰が流れ込み、水質は一時かなり悪化してしまったが、これが直接の原因でヒメマスが減少することはなかったようだ
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[91] 北海道 道央 礼文華 礼文華海岸に咲くハマナス 2002.6.6
6月の北海道沿岸はハマナスが咲き、夏の訪れを告げる
写真は礼文華(れぶんげ)海岸に咲くハマナスである

僕が夏をイメージする花にキョウチクトウがある
キョウチクトウを見ると、浅川マキのブルースを口ずさみ
横須賀ドブ板通りに立ちんぼする娼婦を思い浮かべてしまう

何故かハマナスにも、そんな隠微なイメージを感じてしまう
知床旅情に出てくるような健康的な娘ではなくて
ジャニスジョップリンが歌う、サマータイムブルースの世界だ
そんな印象を切り取りたくて、PLフィルターを使って撮影してみた


礼文華はアイヌ語でレプウンケップ、「沖にある、水などをかい出すもの」という意味を持ち、道央の西端、豊浦町にある。礼文華を海岸沿いに西に進むと、道南は長万部町に至る。この区間は、高さ数十メートルにおよぶ断崖絶壁が続き、奇岩、怪石が海に点在する

アイヌの人々はチャシと呼ぶ聖地を持っていた
チャシでは、戦いのための会議もおこなわれる

豊浦町にもチャシはある。カムイチャシだ。現在はカムイチャシ史跡公園として保存されている。この傍には豊浦町文学碑公園もあり、斉藤茂吉や与謝野鉄幹がこの地を詠んだ歌碑が建てられている


白浪のとどろく磯にひとりして メノコ居たるを見おろして過ぐ 斉藤茂吉

有珠の峰礼文の磯の大岩の ならぶ中にも我を見送る 与謝野鉄幹
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[92] 北海道 道央 礼文華 オオセグロカモメのデュオフライト 2002.6.6
礼文華海岸にはキャンプ場がある。海岸は残念ながら遊泳禁止だが、この周辺は釣りにはうってつけの場所として知られている。礼文華キャンプ場は7月中旬〜8月までしか開設されていないが、近くには豊浦町森林公園があり、ここのキャンプ場は4月中旬〜10月下旬まで利用できるので心配はいらない

礼文華海岸の西側、イコリ岬から長万部静狩までは、断崖絶壁が続き、海には奇岩、怪石がそそり立つ。また海岸には礼文華川も流れ、河口では海鳥も多く見られる

写真は礼文華川沿いに飛ぶオオセグロカモメだ

恥ずかしい話だが、僕は、カモメは日本のどこにでも普通に見られる鳥だと思い込んでいた。しかし五百沢日丸さんと野鳥図鑑を製作する過程で、鳥達の生息分布マップを作成していて、はたと気づいた。総称としてのカモメではなく、種としてのカモメは冬鳥で、関東以北においては、見かけることは少ない鳥だったのだ。東京湾で見られるカモメの大半は、ユリカモメであることも分かった。知らないということは、怖いことだ
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[93] 北海道 道南 長万部 長万部の原子心母 2002.6.7
すいません、最初にお断りしておきます
今回の写真の意図するところは、ごくごく個人的なものです


僕は高校二年生の時に、それまで自分の中にあった価値観を一度全て捨て去り、自分自身を再構築しました。いわゆる一般常識とか、親や教師など、大人から詰め込まれた価値観も一旦放り出し、改めて1つ1つ、物事に対して、自分はどう感じているのか、その理由はどこから来るものなのか..

結果として、やはり自分の好きなことをつらぬくべきだという、ごくごく平凡な結論を出したのですが、これをいざ実行するとなると、かなり大変でした。親はいわゆる有名大学を出て、一流企業でサラリーマンとして働くことを望みます。それに反して僕は音楽や映像という、いわゆるアートの世界(=当時はヤクザな世界)で生きていくと決めたわけですから、当然、毎日が親との喧嘩になってしまいます。家出先まで確保していた僕ですが、最後は親が折れてくれました


このような状態ですから、最初の受験は、とりあえず自宅から逃避したいだけの精神状態ですので、勝負は最初から捨てたまま、九州福岡にある某国立大学を受けました。その時に携行した本が高野悦子の「二十歳の原点」です。自分にとってはバイブルのような存在でした

サウンドエンジニアを目指していた自分にとって、ピンクフロイドは最も憧れていたグループでした。その中でも大好きなアルバムが「原子心母」です。ジャケットにはグループ名も、タイトル名も一切記述されていません。草原に1頭の牛がいて、こちらをジッと見つめています。ジャケットデザインはヒプノシスという、イギリスのデザイン事務所によるものです。この牛はイラストのように見えて、実は写真でした。ヒプノシスは写真を用いてファンタジーを作り上げる、世界でも最高レベルのデザイン能力を持っていました

そのピンクフロイドが2回目の日本公演をおこなうと聞いて、絶対に見に行くぞ..と、決意。受験先の福岡から、大阪に住む従兄に電話をかけ、大阪フェスティバルホールでのコンサートチケットを購入してもらえるよう、お願いをしました。結果、チケットは入手でき、僕は、コンサート前日に京都に出かけ、高野悦子が入り浸っていたジャズ喫茶「シアンクレール」で、名物ママさんが作ってくれた、ホットコーラを飲みながらマイルスデイビスのビッチズブルーを聞いていました

ピンクフロイドのフェスティバルホールでのコンサートは1972年の3月8日、9日の2日間行われました。僕はこのどちらかに出かけたのですが、日にちの記憶が定かではありません。しかし演奏内容はしっかりと覚えています。ステージに立った彼らは、いきなり「月の裏側」という、現在レコーディング中のナンバーを演奏しはじめました。普通コンサートといえば、レコードで聞いた曲を中心に構成されるものですが、彼らは違い、演奏は全て新曲だけでコンサートは進行しました。素晴らしい演奏で十分満足はしているのですが、やはり、僕を含めて、客の欲求不満は若干募ります。コンサートも終盤になった、その時、客席の一人が、大阪弁なまりの英語で「アトムハートマザー」と叫びました。するとギターのデビッドギルモアが、ニコリと微笑み「OK」というや、いきなり原子心母の演奏が始まりました。本来ならばフルオーケストラをバックに演奏される原子心母を、4人のメンバーで見事にプレーしています。これが一流のミュージシャンなのか..と..興奮しまくった僕です。何故ならば、僕が初めて見た外タレのコンサートは、後楽園のグランドファンクレイルロードだったのですが、この時の演奏は、実はテープレコーダーにあらかじめ録音されたもので、それに合わせて口パクしているだけのものだったからです

その後、僕はプロのサウンドエンジニアになり、当時大阪フェスティバルホールの音響チーフであった堀江正氏と、日本PA技術者協議会(現日本舞台音響家協会)の全国理事という立場でお会いできました。初志貫徹です
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[94] 北海道 道南 長万部 静狩海岸に咲くタンポポ 2002.6.7
礼文華から長万部にかけての海岸線は険しい崖が続く

車も長いトンネルを抜けながら、最後の山道を下ると噴火湾が現れ、長万部は静狩に到着する。ここから長万部駅まで、室蘭本線と海岸線にはさまれ、一直線の車道を気持ちよく走れる


写真は静狩駅から、まもない海岸沿いに咲くタンポポだ

本州で見るタンポポ畑と比較して、土地にゆとりがあるのか、こちらのタンポポは、隣同士に余裕がある。うらやましい限りだ。車を停め、しばしこの花園に見とれていた。荒涼とした海岸線の向こうには太平洋が広がっているはずだ。海を見たいとも思ったが、タンポポを踏みつけながら歩くのは、やはり気が引けてしまう

この風景を見つめていると、森進一の港町ブルースを口ずさみたくなった

背のびして見る 海峡を
今日も汽笛が 遠ざかる
あなたにあげた 夜をかえして
港 港 函館 通り雨

「深津武志 作詞 なかにし礼 補作詞 猪俣公章 作曲」による港町ブルースは
演歌が苦手の僕でさえ、高度経済成長、真っただ中の昭和を見事に表現していると思うのだ。これを名曲といわずして、何が演歌だろうか


学生時代、旨かったなぁぁと心の中に刻み込まれた、長万部のカニ飯弁当を懐かしく食べてみたのだが、豊かになった日本の暮らしに自分が慣れすぎたのか、はたまた、大量生産、売上至上主義の結果なのか、昔の感動にはほど遠い味で、ほろ苦さだけが思い出として残ってしまった
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[95] 岩手県 七時雨 まるでアルプスの少女の世界 七時雨田代平高原 2002.6.12
ビーパルに美しい高原の風景が掲載されていた。そこには、まるでアルプスの少女ハイジが暮らす山小屋と高原のような風景が広がっている。なんて美しい場所なのだろう

それが七時雨牧場のある田代平高原だった

当時、僕は岩手の山についての知識は殆どなく、北海道や阿蘇草千里のような、なだらかな山なみと草原が岩手にあることに、まず驚いた。また「ななしぐれ」という言葉の響きも、とても魅力的だった。是非ともこの目で風景を見てみたいと、初夏の七時雨山荘を訪れてみることにした

東北自動車道安代インターを下車、安比高原と反対側の県道に入り、七時雨山をぐるっと廻るようにして田代平高原に辿り着く。そこにはビーパルで見た、そのままの風景があった。美しい。牧場には花が咲き、なだらかな高原の先に七時雨山が鎮座し、牧場に山荘がポツンとある。まさにアルプスの少女ハイジの世界だ

七時雨山荘といえば、イーハトーブ・トライアルレースのスタート地点として、全国に知られている。ビーパルの記事も、実はこのトライアルレースを取り上げたものだった。七時雨山荘は、北緯40度近くにあり、ここから北緯40度沿いに普代村の海岸までを旅する特集だったのだ

この牧場でキャンプしてみたい

山荘のご主人に相談をしてみた。結果はOKで、牛の邪魔にならない所だったら、どこでも好きなところにテントを張ってよいとの承諾をいただき、小躍りして、牧場にテントを設営した。しかし翌日、体の異変で目がさめた。どうも、痒いというか、痛い。注意してみると、大きなダニがいくつも体にへばりついている。ここはキャンプ場でなく、牧草地であることを忘れていた。牛にダニはつきものだった

山荘には温泉もある。硫化水素食塩泉で、なかなか気持ちの良い湯だ。山荘では食事もとれ、鍋料理から始まり、デザートのパフェとコーヒーまで、美味しい時間を過ごせる

七時雨山荘のご主人、立花さんはとても精力的な方だ

田代平高原の美しさを皆に楽しんでもらうために、イーハトーブ・トイラアルレースに協力し、毎年、夏には七時雨コンサートを開催している。立花さんからの情報によると、1年おきであるが、初夏、向いの田代山はツツジで真っ赤に染まるという。僕の訪れた年は、残念ながら、はずれ年だったようで、ツツジは殆ど見られなかった。次回は巡り会いたいものだ
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[96] 岩手県 七時雨 七時雨牧場の天然イワナ 2002.6.12
七時雨山荘で朝食をとっている時に、ご主人の立花さんが「釣りは好きか」というので、「渓流釣りの道具は車に積んである」と応えると、「牧場の川には天然イワナがいるよ」という。それも牧場のバッタをエサに提灯釣りの要領で狙えば、間違いなくかかるというのだ

七時雨山の伏流水が牧場の中に湧き出て、川となり流れている

川の源流には、ボス牛を先頭に数十頭以上の牛の群れが、駆け回っている。これが怖いのなんの。雄牛の角で、はたかれたら、たまったものではない。この牛達を刺激せずに、釣りをさせてもらうことにした。周りは笹や木々が茂っているので、釣り竿から先の、みち糸は数十センチという短いものにしないと、絡まってしまう。提灯釣りのスタイルでないとダメだよという理由がそれだった

エサはブドウムシを持っていたので、それを使い、草の陰からそおっと竿を出すと、いきなりイワナがヒットした。型は20cm程度と小型であるが、天然のイワナだ。美しい。その後もバシバシとヒットした。天然イワナがこんなに簡単に釣れるとは..信じられない。だって、七時雨の西側の安比川は、イワナやヤマメの釣りポイントとして名高い場所だが、そこでは、ここのように簡単にイワナはヒットしてはくれないのだ。僕のような素人同然の釣り師が、こんなに沢山の天然イワナをいただいてもよいものだろうか

以後、これだけの天然イワナに巡り会えたことは今日までない
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[97] 長野県 高ボッチ鉢伏山 鉢伏山のレンゲツツジ Part1 2002.6.20
信州で、僕の好きな地域を3つあげよ、といわれると、なかなか選択に困るのだけど、ここだけははずせないなぁぁという場所は

1.大町から白馬にかけての森林と田園から眺める北アルプスの展望
2.遠山郷の川と森林、そして南アルプスの展望
3.松本から高ボッチ鉢伏山を巡り、塩尻に抜ける山道


大好きな高ボッチだけど、初夏から夏にかけてが特に良い

この季節、松本から崖ノ湯温泉をぬけ、高ボッチに至る林道沿いには、ヤマオダマキやウツボグサ、など、沢山の花が咲いている..と..花を語るのではなかった。この季節、高ボッチに至る林道沿ではカッコウの美しい鳴き声を独占できる。高ボッチの山頂よりも、もう少し低い森の中で聞くカッコウの声は、何時間聞いていてもあきない。工事や林業の人達を除いて、この林道を登る車の数は少ない。つまり人も殆どいないということで、カッコウの鳴き声をたっぷりと聞けるというわけだ。何故か高ボッチから塩尻にぬける林道では。カッコウの鳴き声を聞いた記憶はかなり少ない。松本から高ボッチに至る林道沿いで聞くことのほうが、圧倒的に多いのだ

僕にとって、高ボッチと鉢伏山は、2つで1セット。距離的には近いようでも、坂道は結構厳しいので、僕のキャンパーだと、時速20Kmでるか、でないかの、ノロノロスピードでやっとこさ鉢伏山に辿り着くのだが、その間の山道も含めてが、僕にとっての高ボッチであり、鉢伏山なのだ

鉢伏山は、霧ヶ峰や美ヶ原のように、ゆるやかな、Aカップ程度の、小ぶりのおっぱいの形をしていると、僕は勝手に思い込んでいる。高い木々が殆どなく、クマザサやレンゲツツジなどの低木と、野草達で覆われ、遠目には草原のように見え、その風景から、なんとなく仰向けに寝ている、トップレスの女性を想像してしまうのだ


写真は鉢伏山の山小屋から頂上に向かう途中でのレンゲツツジだ
このレンゲツツジの足元には、マイヅルソウやスズランが、愛らしく咲いている
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