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[108] 群馬県 六合村 夕暮れの野反湖に咲くニッコウキスゲ | 2002.7.10 |
群馬の「くにむら」に湿原があり、そこで山小屋を守っている方のドキュメンタリー番組を見た。六合村を「くにむら」と読むことを知らず、地図で「くにむら」を探すのだが見つからない。まだインターネットも発展する前、検索エンジンで手軽に情報を集めるなどできない時代。その場所が草津温泉に近い六合村であることをつきとめた時は嬉しかった。そしてそこが野反湖のある場所だと分かり、いろいろな疑問が一気に氷解していった 夕暮れの野反湖に佇むニッコウキスゲを見たくて出かけた 四万温泉から暮坂峠を越え、六合村に入る。もう5時はとっくに過ぎている。日没前には野反湖に辿り着きたい。間に合うだろうか。花敷温泉を通過し、いよいよ日も没する直前に湖畔に辿り着いた。期待した通り、湖面には夕陽を浴びたちぎれ雲が浮かび、ニッコウキスゲの花達が、薄暗くなった緑のステージの上で、美しい旋律を奏でていた [画像を表示] | |
[109] 長野県 志賀高原 モウセンゴケ咲く四十八池 | 2002.7.12 |
夏の志賀高原といえば、湿原の散策が定番だ その中でも志賀山の麓、四十八池への散策路はお薦めコース。硯川の駐車場から前山スキー場へのリフトに乗り、その終点から散策路は始まる。歩き始めて10分ほどで、ハイ松に囲まれた、静寂な浮島の風景が広がる渋池に出る。ここで一服したら、四十八池までは、片道約1時間の森林浴の旅だ。森林をぬけると、眼前に志賀山が現れ、池塘が広がる 池塘にはワタスゲの穂がたなびき、その足元を見ると、赤い小さな植物達がひっそりと佇むのに気がつくだろう。この赤い植物が、食虫植物のモウセンゴケなのだ。花の色は白い。渋池にしろ、四十八池にしろ、ここまでビッチリとモウセンゴケの咲いている場所は、そう多くはない。ひょっとすると、尾瀬ヶ原よりも密度的には高いのではないだろうか。貴重な場所だと思う。5月下旬〜6月上旬にかけての四十八池では、ミズバショウやイワカガミが、また7月下旬〜8月上旬にかけては、ヒオウギアヤメ、キンコウカ、トキソウも見られる [画像を表示] | |
[110] 長野県 志賀高原 夏空を眺めるヤナギラン | 2002.7.16 |
四十八池から奥志賀スーパー林道を経て秋山郷に向かう 僕は駐車場やトイレがあると、その場所は必ず、GARMIN・GPS3+を接続した『Map Brothers』に登録する。つまり前方に駐車場やトイレを見つけると、そこに立ち寄り、緯度経度をその場で記録するのだ。何故って?? それは車寝に欠かせない情報だから 奥志賀スーパー林道に入る手前で駐車場を見つけた。いつものように立ち寄り、何気なくあたりの景色を見ると、なんと見事なヤナギランのお花畑があるではないか。車から降り、注意深く観察すると、ヤナギランだけでなく、ニッコウキスゲ、クガイソウ、オオバギボウシなど、夏の花のスター全員集合状態。久しぶりの興奮モードに突入、そそくさと三脚を担ぐ。道路に面した場所であることは事実だけど、道路を走行していても、このお花畑に気づくことは、まずないだろう。たまたま駐車場に立ち寄ったから発見できたのであり、ラッキーだった 掲載した写真だが、これはポジで撮影したものではなく、オリンパスC-2000zという、いまでは古の200万画素デジカメを使い、640*480VGAモードで撮影、トリミングしたものだ このデジカメを購入した当時、記録媒体のスマートメディアの価格は高く、32MBしか手が出なかった。だから撮影枚数を考えると、必然的にVGAモードになってしまうわけ。パソコンで閲覧するのだったら、これで十分と思っている。モバキャンの写真は一眼レフカメラのポジ撮影だから立体的に描画できていると思っているのでしたら大間違い。デジカメだって同じですよ〜。一眼レフとの違いはレンズの選択肢が違うくらい。要はホワイトバランスと適正露出、それだけ。特にホワイトバランスのチューンは重要。これはプロ用ビデオカメラを扱った人ならば、即納得するはずだ 僕にとってカメラで最も重要視するのは、ユーザーインターフェース・デザイン。つまり使い勝手です。いくら高画質に仕上がろうと、使い勝手の悪いカメラなど、気分が悪くて勘弁です。僕はバンドで演奏するのと同じ気持ちで、撮影しますから、まず被写体から音楽が聞こえてくることが大切。カメラは楽器。だから気分よく被写体とセッションできるものでないと欲求不満が爆発してしまう。だってノリをつくれないでしょ。パソコン画面で撮影結果を見る限り、メーカーや機種、フィルム/デジカメの違いなど誰もわからないと思う。一眼レフはキヤノンのEOSシリーズやミノルタ全般、デジカメだとオリンパスや富士フイルムは自分にフィットするので好きなカメラです。逆に僕の場合、一眼レフもデジカメもニコンとの相性は最悪で、欲しいと思ったことは一度もありません。どうしてこんなにも、使い勝手の悪いカメラを設計できるのだろうかと、長年疑問に持ちながら、現在に至ってます。僕の撮影スタイルって、一般の方と大きく違っているのだろうか [画像を表示] | |
[111] 長野県 カヤの平高原 北ドブ湿原のニッコウキスゲ | 2002.7.18 |
「カヤの平」って、どうして「カヤ」が片仮名で「の」が平仮名なんだろう 湿原に生えるシダがカヤの葉に似ているからだろうか また「カヤの平」が木島平に分類してある旅本も、僕としては納得できない 「カヤの平」って、むしろ秋山郷とか鳥甲山の方が近く、奥志賀スーパー林道の終点のような、奥深い地域だと思うのだ。しかし最寄駅となるとJR飯山線の飯山駅になるので、木島平に分類しちゃうんだろうなぁぁ。なんだかファッショナブルなスキー場のイメージ。それゆえか、昨今の「カヤの平」は観光バスが乗り付け、霧降高原や霧ヶ峰の感覚で土産店がないとか、不便だとか、有名観光地と勘違いしている連中が押し寄せはじめている。これは絶対に不幸なことだ。「カヤの平」は不便な秘境だからこそ、今でも見事なブナ林や白樺、野草達の宝庫なのだ 北ドブ湿原までは、白樺林やブナ林の中を気持ち良いハイキングを楽しめる 7月下旬、北ドブ湿原にニッコウキスゲが咲く。決して広いとはいえない、こじんまりとした空間だけど、森の密度が濃く、夕暮れ時、たった一人で湿原の中に立つと、怖ささえ感じてくる。シーンと静まり返った湿原にシャッターの音だけが響く [画像を表示] | |
[112] 長野県 秋山郷 夏の天池から鳥甲山を望む | 2002.7.23 |
奥志賀スーパー林道を経て、夕方、秋山郷に辿り着いた さっそく小赤沢にある温泉、楽養館の赤茶色の湯に浸かり疲れを癒す 秋山郷は本当に何もないところだ。もちろんスーパーやコンビニは全く無い。そればかりか夜7時を過ぎると食事にありつける店は、小赤沢のラーメン屋さん一軒だけとなる。客は皆地元の人達ばかりだ。僕は店主の手作り蕎麦すいとんをいただいた。シンプルな塩スープがうまい。スープの中の野菜も、全て自分の畑で栽培したものだそうだ 夕食を終えると、後は寝るだけ あらかじめロケハンしておいた車寝場所は、傾斜地でどうも安眠できそうもない。そこで暗闇の秋山郷をうろうろとするが、かなり強い「気」が襲ってくる。どうやら「こっちにくるな」と言っているようだ。仕方なく新潟との県境の道路脇の空き地で車寝することにした。ここは民家も近くに有り、「気」を発する方々もおとなしかったからだ。秋山郷の歴史をたどれば、「気」の主たちの気持ちもわからんでもない 小赤沢を東に向かう、細い林道を登ると諏方神社に出る。この神社の脇に大瀬(オオゼン)の滝がある。さらに林道を登ると苗場山三合目登山口に出る。道を右折すると、苗場山の裾野沿いに快適なドライブを楽しめる。途中の展望台からは鳥甲山から志賀の山々まで素晴らしい展望を味わえる。さらに林道を下っていくと左手に小さな沼が現れる。この沼が天池だ。なんとも神秘的な風景が広がり、思わず鳥甲山に手を合わせてしまった。天池の隣りには古民家の宿で有名な「のよさの里」がある。隣接したキャンプ場は、夏休みを楽しむ家族で賑わっていた [画像を表示] | |
[113] 長野県 秋山郷 秘境を満喫 切明温泉野天風呂 | 2002.7.24 |
秋山郷は、南に群馬県野反湖、西に奥志賀の山々、鳥甲山(とりかぶとやま)、さらに東は苗場山に挟まれたV字谷地帯だ。長野県と新潟県の県境、冬は4,5メートルの積雪がある豪雪地帯のため、春が訪れると待ちわびたように花達は一斉に咲き始める。また秋の冷え込みも早く、それ故に美しい紅葉が味わえる。かつて雪により外界と閉ざされることが多かった地域には、まだ豊かな自然や秘湯があり、野趣溢れる遊びを満喫できる場所だ 川原を掘ればそこがマイ露天風呂 奥志賀スーパー林道から雑魚川林道に入り、山道を下りきると、そこが切明温泉だ。橋を渡った右側に公営の宿、雄川閣があり、宿に面した川の対岸に、秘境度100%、切明温泉野天風呂がある。車は雄川閣の駐車場に停められ、公衆トイレもある。雄川閣の隣にある吊り橋を渡ると、東電切明発電所にぶつかるが、その手前を左方向に細い道を歩くと河原に出る。そこが温泉採掘ポイントだ。目印は丸くセメントで形取られた小さな温泉プール。こんこんと温泉が湧きだしているので、すぐにわかる [画像を表示] | |
[114] 新潟県 津南 津南30万本のヒマワリ畑 | 2002.7.26 |
秋山郷の見所の半分は新潟県津南町にあるといっても過言ではないと思う 7月下旬〜8月中旬まで、国道117号と国道405号に囲まれた、中津川の河岸段丘近く沖ノ原台地にヒマワリ畑があり、30万本の花が咲き誇っている。7月第4土、日にはヒマワリ祭りも開催され、地元の人達で賑わう。いまでこそ道路も整備され、秋山郷は小赤沢から飯山市まで国道405号から国道117号を経て、約1時間で辿り着くが、秋山郷にバスが開通するまでは、栄村から津南町まで、皆、徒歩で買出しに出ていたのだ。しかも真冬は豪雪地帯の秋山郷である。生活の知恵が豊かでないと、自らの命すら守れない。しかしこのヒマワリ畑の花を見ていると、そんな自然の厳しさもすっかりと忘れてしまうほど、のどかな風景に心が和む。ヒマワリ畑の傍には、名水百選の1つである龍ヶ窪の水があり、とても神秘的な風景に出会えるので、立ち寄ることをお薦めする [画像を表示] | |
[115] 新潟県 津南 名水百選 龍ヶ窪の水 | 2002.7.26 |
名水百選 龍ヶ窪の水は、鳥甲山の伏流水が湧き出る池だ 龍ヶ窪の水は、日本の中でも一番を競うほど見事な河岸段丘の高台にある。湧き出す水の量は毎秒0.3〜0.5トン、池の水は1日で全て入れ替わり、涸れることは決してないという。神秘的な池にはカワマスが棲み、周りを囲む美しいブナ林には36種の野鳥が訪れ、初夏にはミズバショウも咲く。また池の入り口にある水路も味わい深く、気持ちよい散策を楽しめる。一汗かいたら、近くに龍ヶ窪温泉「竜神の館」の露天風呂があるので立ち寄るとよいだろう 前回のモバキャン「津南30万本のヒマワリ畑」と今回の「名水百選 龍ヶ窪の水」、どちらかはデジカメの写真なのだが、果して見分けられるだろうか。正解は「名水百選 龍ヶ窪の水」なのだが、自分で撮影していても識別は難しい。実際ポジでもこの池は撮影していて、ポジ、デジカメ、どちらの写真をセレクトするべきか、かなり迷ったのだが、結局、構図がデジカメの方が気に入ったので、こちらの写真を採用した。「津南30万本のヒマワリ畑」の撮影データはキヤノンEOS-1N+F2.8L 28mm〜70mmUSMズーム フィルムは富士プロビアで、かつプロ仕上げで現像したものをミノルタ Dimage Scan Multiで940DPIの分解能でスキャン、デシルタ化した。かたやデジカメはオリンパスC-2000zを640*480 VGAモードで撮影しただけのもの。どうみても機器の価格も作業工程数の差も大きすぎる。しかし撮影の結果をパソコンのディスプレーで見る限り、識別は限りなくつかない。まったく喜んでよいのか、悲しむべきなのか。それだけデジカメとパソコンの相性は良好ということだろう。今では、このクラスのデジカメは5万円以下で入手できる。メーカーの性能差なんて無いですね。前にも述べたようにホワイトバランスさえきちんとチューンしたならば、200万画素以上のモデルならばどのデジカメでも結果は同じです。比較して一眼レフカメラはライカのように、きっとごくごく少数のマニア向けの存在になってしまうのだろう。だから僕は高価な一眼レフデジカメも不必要だと思っている。それよりもF2.8 28mm〜500mmまでズーミングできるコンパクトなデジカメの方がずっと欲しい。もちろんGPS Exif位置情報対応で [画像を表示] | |
[116] 新潟県 松之山 コシヒカリのミラクルロード | 2002.7.30 |
憧れの地であった棚田の里、夏の新潟県松之山を訪れた 7月の棚田は眩しいほどの緑が一面に広がり、その存在感の大きさに打ちのめされ、早々に撮影は諦めて今回は見物人に徹することにした 撮影をする時だが、自分の感受性が被写体のパワーに負けていたのでは、例えシャッターを押しても、フィルムに自分の感じとったイメージが正しく写っているということはまずない。自分と被写体との関係は常にフィフティー、フィフティーでないと、良い結果は得られないものだ。撮影にも潔さは大事なのだ そもそも松之山の棚田の存在を知ったのは、イギリスの写真家ジョニー・ハイマス氏の写真集「たんぼ」からだった。そこには見慣れた日本の風景というよりは、イギリスの田舎としか形容しようがないほど、日本人の感覚とは全く違った光を捕まえ、撮影された棚田の風景が広がっていた。いくらハッセルを使用したとはいえ、日本人による撮影だったら、はたして彼の作品のようなファンタスティックな映像になったであろうか 松之山の水稲はコシヒカリが多い。しかし全ての稲がコシヒカリなわけではない。松之山という狭い地域の中でもコシヒカリの育たない土地は存在するのだ。それだけにコシヒカリを育てられる棚田を所有している農家の人達のコシヒカリに対する思い入れは深い ところで僕がコシヒカリという米の存在を知ったのは1970年前後だったように思う。1980年代はコシヒカリとササニシキが人気を二分していたが、いつのまにかササニシキは脱落。現在では他の米を圧倒する人気を博する存在にまで上り詰めたコシヒカリ。しかしコシヒカリはどのようにして生まれてきたのだろうか。松之山の棚田を眺めながら、そんな疑問が浮かんだ 帰宅して、酒井義昭著「コシヒカリ物語」(中央新書)を入手、コシヒカリの生い立ちを調べてみると、なんとコシヒカリがこの世に存在できたこと自体が奇跡であることが分かった 1944年7月末、怪我のため兵役をまぬがれた新潟県長岡市の新潟農事試験場水稲育種指定試験地主任技師の高橋浩之氏が晩生種の「農林二十二号」を母、早生種の「農林一号」を父として人工交配して生まれたのがコシヒカリだ しかしその生い立ちは決して順風満帆とはいいがたい 交配は成功して、モミを確保できたものの、1945年は終戦となったため、交配して収穫されたモミは発芽テストをされることなく貯蔵されてしまった。また交配の情報を記した資料は長岡の空襲で全て焼けてしまっていた。今は亡き僕の義母は、この時の空襲を同地で体験している。一機のP38ライトニングがまるでテレビゲームで遊ぶかのように、自分だけをめがけて機銃掃射してくる。そのパイロットの顔を一生忘れないと語ってくれた 高橋浩之氏のモミの保存方法が適切であったため、1946年にコシヒカリは無事発芽することが出来た。ちなみに他の職員が保存したモミは全く発芽しなかったそうだ。しかし高橋浩之氏はコシヒカリのその後の栄光を見ることなく、1962年53歳という若さで他界している 高橋浩之氏が生みの親だとすると、育ての親は新潟農試所長の杉谷文之氏だ そもそも水稲育種指定試験事業とは、1927年、稲の品種改良を効率的におこなうことを目的に国が設立したものだ。米は国の管理下の存在ゆえ、ここで試験、選別され、合格した稲種でないと、世にデビューすることはできない。つまり歌手がオーデションに合格しないとレコードデビューできないのと同じで、杉谷文之氏はコシヒカリを発掘したプロデューサーにあたる存在だ 1955年頃の日本はまだまだ食糧難の時代、「味」よりは「量」が求められていた。コシヒカリは台風などの風に弱く、倒れやすかったし、病気にも決して強いとはいえなかった。しかし唯一救われた点は、風で倒れても、稲自体は「生きている」ことだった。だから収穫はなんとかできた。こんな超問題児のコシヒカリだったが、採用反対の多くの声を押し切り、ワンマン所長の杉谷文之氏の鶴の一声「越南十七号ことコシヒカリを採用する」、この決定でコシヒカリは、かろうじてデビューすることができた。しかし新潟県の推奨水稲となったコシヒカリも山間部、魚沼のような地域でないとうまく育たなかった。皮肉なことだが、結果として魚沼産のコシヒカリが現在では最高の米として評価されている 写真であるが、これは実る前のコシヒカリを刈りとり、干している風景だ つまり減反の対象として、稲穂をつけることなく、無残に刈りとられたコシヒカリの姿なのだ。精魂こめて育てた子どもたちを、自らの手で始末しなくてはならない切なさは、老人の目を見ていれば伝わってくる。この干したコシヒカリの顛末だが、正月のしめ飾りの材料として使われるのだそうだ。何度も溜息しながら、老人は僕に教えてくれた [画像を表示] | |
[117] 新潟県 松之山 蕎麦づくりにはげむ母 | 2002.8.1 |
松之山をうろうろと散策していたら、農家の庭先で おばあちゃんが何やらたたいているのを見かけました さて..おばあちゃんがたたいているものは、何でしょうか また..これは..何の目的で使用されるのでしょうか 答 このおばあちゃんが、たたいているものは..「ヤマゴボウ」です 目的は蕎麦のつなぎに使うためです このたたきは1時間以上もかかり、大変な労力を要します この地では、ヤマゴボウの蕎麦作りは嫁の仕事だったのだそうです おばあちゃんの息子さんは、最近蕎麦店をはじめました 自分が習得した蕎麦作りの手法をなんとか息子に伝えておきたい だから、おばあちゃんは、この日、数十年ぶりにヤマゴボウをつなぎにした 手打蕎麦を作ろうと決心、作業をし始めたところだったのです なお、このヤマゴボウは、いわゆる「ヤマゴボウ」ではなく、アザミの仲間の「オヤマボクチ」のことを指します。本来のヤマゴボウは毒草ですから、つなぎには使いません ところでヤマゴボウの蕎麦というと、長野県富倉が有名ですが、地図を見ても分かるように、富倉も松之山も距離的には近く、蕎麦のつなぎにヤマゴボウを使うという手法は、この地一帯に伝承されていたと思われます。面白いことに松之山の隣町、十日町や津南では、現在、蕎麦のつなぎに海藻の「ふのり」を使用したヘギ蕎麦が名物です。ヤマゴボウより手間もかからず、入手しやすい「ふのり」が結果として普及したのではないかと思われます。ツルツルとしたノドゴシのよいヘギ蕎麦はとにかく量で勝負。腹いっぱい蕎麦を食べたいという、庶民の知恵から生まれた蕎麦であることは間違いないでしょう [画像を表示] | |
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