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[148] 島根県 出雲 濡れ羽色で賑わう田んぼ | 2003.2.27 |
1984年に発見された358本の銅剣で一躍有名になった、謎の史跡「荒神谷遺跡」の隣にある、菱川町の某コンピュータ工場でノートパソコンの作られる工程を見学した。今回の旅は、この工場での研修のために出掛けて来たのがそもそもの目的ではあるのだが、一緒に同行したメンバーの方々は翌日のゴルフのほうが気になるらしかった。僕はゴルフの趣味は持ち合わせないので、事前に不参加は伝えてある。本日の研修も終わり、宿泊先の玉造温泉で湯を浴びた後、夜の散歩に玉湯川沿いを歩く。典型的な昭和の温泉街だ。企業や団体さんが主な客層なのだろう。家族で訪ねたいという気持ちには正直ならない。温泉街自体は静かなのだが、伊豆長岡温泉のように宴会料理を楽しむところだと感じた 翌日、ゴルフに不参加の僕は研修を終えるや、しめしめと日御碕に出かけることにした。出雲を訪れたならば、まずは出雲神社に詣でるのが一般的なのだろうが、僕は日御碕の海岸を見たいという気持ちの方が先に立ち、そちらを優先したら日も暮れてしまい、結局出雲大社を訪れる機会を逸してしまった 写真は菱川町から出雲大社に向かう途中で出会った風景だ。カラスは何を啄んでいるのだろうか。濡れ羽色とはよくいったもので、枯草色の田んぼに艶やかな黒が一際美しかった。ところでこのカットは僕に気づいたカラスが、わっと舞い上がったところを撮影したものだ。最初は彼等に気づかれないように、車の陰からそっと、啄んでいる彼等を撮影したのだが、景気よく舞い上がる風景も見たいものだと思い、そろそろと彼等に向い歩き出したところ、予想どおり宙を舞ってくれた。こういうのもヤラセというのだろうか [画像を表示] | |
[149] 島根県 出雲 日御碕街道 | 2003.3.4 |
出雲の観光コースとしての日御碕(ひのみさき)のゴールは日御碕灯台と日御碕神社だ。僕も灯台の入り口までは辿り着いたものの、観光地そのものの雰囲気に嫌気がさしてウミネコの繁殖地として有名な経島(ふみしま)も見ずに、出雲大社と日御碕灯台を繋ぐ街道、日御碕街道の海岸線沿いの磯辺を目指し戻ることにした 僕は小川や田んぼが大好きだ。幼少の頃は山口県は下関に住んでいて、小魚やカエル、蝶などの生き物を手掴みすることが楽しく、毎日小川や田んぼで遊んでた。しかし小学生になる少し前に東京は三鷹市に引っ越したため、いままで毎日の日課であった小魚の手掴み採りはできなくなってしまう。それは辛い現実だったのだが、その替りとして巡り会ったのが磯遊びだ。潮溜まりを覗くと、そこには小魚やカニ、エビなど沢山の生物で溢れ、彼等を追いかけたり、眺めては興奮していた。特に三浦半島の剱崎での磯遊びは楽しかった。磯場だけでなく、すぐ隣、江奈湾の干潟では、シオマネキやコメツキガニ、チゴガニたちと戯れた。伊豆の付け根にあたる真鶴半島の琴ヶ浜も僕のお気に入りのフィールドだ。ここの潮溜まりは泳ぐこともできるほど、子どもにとってはまさに天然のプールだった。父親に毎週末、三浦半島や湘南に連れて行ってもらった。大人になり、自分にも子どもが出来た時、真っ先に彼等を連れて行ったのは、もちろん剱崎や江奈湾の干潟、そして真鶴琴ヶ浜だった。琴ヶ浜といえば、水中写真家の中村征夫さんが20歳の時、ここの磯場で休憩していたら、海中から突然ダイバーが現れ、海坊主が出たと仰天したそうだ。その事件をきっかけに海中の生物を撮影してみたいと思い立ち、現在に至っているのだそうだ 写真は日御碕街道、追石鼻(おいせはな)近くの磯場であり、楕円のカットは、そこで見かけたクロヘリアメフラシの仲間だ。出雲大社から海岸沿いに追石鼻まで日御碕街道を走る途中左手、日本海の先に三瓶山を望むことができる。通常3月の磯場は海水の透明度はあるのだが、生物は少なく淋しい。ここ日御碕の磯場も例外ではなかったが、アメフラシやタテジマイソギンチャク、ヤギの仲間など予想よりもずっと多くの生物に出会えた。やはりここの自然は豊かだ。今度は生物が産卵する季節に訪れてみたいものだ [画像を表示] | |
[150] 島根県 出雲 早春の立久恵峡 | 2003.3.8 |
層雲峡や昇仙峡、耶馬溪と並び、奇岩、柱石の風景が展開する立久恵峡(たちくえきょう)だが、ここはまた植物の宝庫でもある。この立久恵でしか見られないというオオメノマンネングサをはじめとしてイズモコバイモ、セッコク、オッタチカンギク、ムサシアブミ、イブキジャコウソウ、イワギリソウの姿を見ることが出来る。立久恵峡の足元を流れる神戸川(かんどがわ)は天然のアユも遡上する川として夏には釣り師たちで賑わう 日御碕から三瓶山に向かう途中、まだ残雪の残る立久恵峡に立ち寄ってみた。遊歩道には紅白の梅がひっそりと咲き、神戸川の美しい川面を眺めながらの散策は実に気持ちの良いものだった。雪と梅の組み合わせは初めての体験。関東ではなかなか巡り会えない風景だ。新緑、紅葉の季節も素晴らしいと聞くが、早春の立久恵も捨てがたい魅力がある [画像を表示] | |
[151] 島根県 三瓶山 男三瓶山 | 2003.3.10 |
日御碕から日本海越しに島根を代表する山、三瓶山が見えた。もっと間近で見てみたいと、途中、立久恵峡で梅見をした後に三瓶山を目指すことにした。立久恵峡にも雪はあったが、三瓶山はたくさんのスキー客で賑わうほどに雪は豊富だった。正直なところ、これほど雪が多いとは予想だにしていなかった。三瓶山は北側の男三瓶山から時計回りに女三瓶山、大平山、孫三瓶山、子三瓶山で構成されているのだが、外周をぐるりとほぼ1本の道路で廻れる貴重な存在だ。標高1000m以上で外周を車で廻れる山の代表はなんといっても富士山だが、それでは他に何山がある??と、自問しても羊蹄山くらしいか、とっさには思い出せなかった 写真は国立三瓶青年の家近くで撮影した男三瓶山だ。女三瓶山にはスキー場、青年の家の180度反対側、孫三瓶山の麓には三瓶温泉がある。男三瓶山と子三瓶山の麓にあたる西側、西の原には放牧場があり、そこからの三瓶山はなだらかでおだやかな様相を見せてくれる。三瓶山に別れを告げ、次の目的地に向かう途中、撮影をしなかった、西の原の風景こそが、実は、一番三瓶山らしかったのかもしれないと思いたったものの、すでに後の祭りとなってしまった [画像を表示] | |
[152] 山口県 須佐 須佐のホルンフェルス | 2003.3.14 |
三瓶山をあとにして山口県に向かうべく、大田市から海岸沿いの9号線に出る。次の目的地は鳴き砂で有名な仁摩町の琴ヶ浜だ。前回この9号線を訪れた時は、北九州から下関に入り、日本海沿いに鳥取は東郷湖まで走った。その時は九州の取材がメインだっため、琴ヶ浜は素通りせざるを得なかったゆえ、今回はリベンジなのだ。しかし琴ヶ浜に到着すると、あいにく、もの凄い風が海岸を吹き荒れ、とても鳴き砂を味わうどころではなく、あえなく撤退、一路山口県を目指すことにした。9号線をひたすら走り、島根県をぬけるには、かなりの時間を要するが、途中の海岸線は美しく、9号線と並行して走る山陰線が、さらに旅の風情をかきたててくれる。日も傾きかけた道の駅「ゆうひパーク浜田」で一旦休憩し、益田市に辿り着いたのは夜も7時頃だった。この先を進むと夕食にはありつけそうもないと判断、益田漁港から市内をウロウロと探索していたら、国道沿いに真新しい和食店を見つけた。暖簾をくぐり店内に入ると客は僕一人、招かれるようにカウンターに座る。明るく、品の良い、お洒落な店内だ。どうやらご夫婦で経営されているらしい。本日のお薦めであるカレイの煮付けを待つあいだ、ご主人の話を伺っていると、趣味は渓流釣りのようで、島根から山口にかけての川の状況をかなり細かく教えていただいた。天然のアマゴやイワナがまだまだ沢山いるらしく、その釣果を語る時のご主人の頬は緩みっぱなしだ。料理も旨い。せっかく西日本に来たのだからと、普段、関東では食べられない「蓮根饅頭」を無性に食べたくなり、メニューには無いことを知りながらも注文してみたところ、「20分時間をください」と快く受けてくださった。出てきた蓮根饅頭は予想通りのウマウマ。ここのご主人の腕前は確かだ。旅をしてて思うのは、西日本と関東、東北の食文化の違いだ。例えば居酒屋に入り、メニューを見るとその違いを知ることができるだろう。東京から青森までは殆ど似通っていて、基本的には煮物とマグロやイカの刺身や焼き魚が定番で、味は濃い口の醤油ベース。つまるところ芋の煮っ転がしや寄せ鍋的な単調な料理が中心となる。しかし西日本は京料理や懐石料理に通じる、素材を活かす繊細な味と見た目の美しさが見事。食に関しては関東以北は西日本には到底かなわないと思う。やはり平家以来の貴族文化が継承されているからなのだろうか 翌日は天候も晴れ、風も穏やか、あっという間に山口県は須佐町に辿り着いた。ここの海岸沿いにホルンフェルスを見ることができる場所がある。ところでホルンフェルスという単語を覚えたのは中学の社会科で、長年、実物を一度この目で見てみたいと思っていたが、今日、やっと実現したというわけだ。ホルンフェルスは接触変成石といい、バームクーヘンのような層が見所。写真はそのホルンフェルス大断崖が剥き出しとなった畳岩だ。黒い部分は頁岩(けつがん)が、白い部分は砂岩がホルンフェルス化したものである。周辺にはスイセンが楚々と咲き、この畳岩まで降りて、カニと戯れることも出来る [画像を表示] | |
[153] 山口県 阿武 虹の渡り橋 | 2003.3.17 |
関東の人達から見た山口県のイメージは、きっと、萩、下関のふぐ、関門海峡、秋吉台と鍾乳洞、そして錦帯橋くらいなものだろう。つまり山口=観光地とは殆ど認識されていないのが実状ではないだろうか。しかしフィールド観察好きな方にとって、山口県はかなり魅力的な地域だと思う。照葉樹林、竹林、低山、棚田といった、昔ながらの里山の風景が今でも残り、白砂青松の海岸の先には、コバルトブルーの美しい海が広がる。沖縄のトロピカルな海の人気も理解できるが、これだけ美しい海岸線を味わえる地域は、五能線の秋田は八森から青森の岩崎までくらいだろう。島根に入ると、琴ヶ浜など一部を除いて砂浜の色は黒っぽくなってしまうが、山口県の砂浜はどこまでも白浜が続く 「道の駅阿武町」に辿り付くと、そこには銭湯かと思うほどに、庶民的な温泉があった。入浴料も東京の銭湯よりも安く、一風呂浴びた後に、これまた庶民的なレストランで食事もとれる。道の駅のあるべき姿をここは体現している。すっかりここを気に入り、2泊もしてしまった。というのも、島根から山口に入り、田万川、須佐、阿武周辺の照葉樹林、そして竹林の風景が美しいのだ。田んぼや小川も探索してみようと、阿武町奈古から奈古谷川沿いに山の中に入り込んでみた。迷路のような山道をあてもなく走ると、突然、珍しい形の棚田に出た。巾着田のような円形の田んぼを中心に美しい棚田が広がっている。ほほぉぉ..と感嘆の声を思わずあげるほど、魅力的な棚田だ。近くの小川を覗くとメダカが気持ちよさそうに泳いでいる。山口の棚田といえば油谷の棚田が、島根は三隅の棚田が著名だけど、眼前の風景も負けずに素晴らしい。まだ風景写真家達にはノーマークなのだろう。里山で出会った八幡様も、まるでトトロの森を彷彿させるほどにノスタルジック。棚田を後に、さらに山道を下り、畑の広がる平野を走ると、突然目の前に虹の架け橋が現れた。車を路肩に停め、撮影をしたのだが、帰宅後、フィルムを現像してみると、完全なアーチ状の虹はこのワンカットのみだった。もっと絵になる場所はないかと、助平心をおこし、ウロウロしているうちに虹は消え去ってしまったのだ [画像を表示] | |
[154] 山口県 阿武 北長門コバルトライン | 2003.3.21 |
国道9号線「ゆうひライン」の終点、島根県益田から国道191号線に入る。ここ益田から山口県萩までの海岸線を「北長門コバルトライン」と呼び、白砂青松の海岸とコバルトブルーの美しい海が広がる 写真は鳴き砂として知られる阿武町清ヶ浜海水浴場だ。客は僕一人。沖に見える島は野島。向かって左手、海岸の西側には標高416mの遠岳山がそびえ、頂上からは萩、長門から沖の島々までのパノラマを楽しめる。以前、家族で訪れた真夏の萩の海水浴場でさえ人混みはなかったが、清ヶ浜はさらに空き、殆どプライベートビーチだった。しかも夏にはキャンプ場も利用できる。この風景の中にいると、汚れた湘南海岸で泳ぐなど馬鹿馬鹿しくて出来やしない。日本の海岸線をそこそこ走り廻っているが、その中でも須佐から阿武、萩、青海島、日置、油谷までは特にお気に入りの場所だ。道路の渋滞を気にすることもなく、眼前には観光化されない、手つかずの自然が広がり、快適なモバキャンを堪能できる [画像を表示] | |
[155] 山口県 萩 笠山の椿群生林 | 2003.3.23 |
道の駅阿武町からむつみ村、福栄村の棚田を巡り萩に出た。阿武周辺には阿武単成火山群という、1回の噴火で出来た、いくつもの小さな火山があるが、萩から北東へ車で10分ほどの、標高112mの笠山もその1つだ。この小さな半島には貴重な自然がいくつもある。その1つが大池、中の池、奥の池からなる海跡湖の明神池だ。池なのに何故かマダイやクロダイ、クエ、イサキ、メバル、エイといった海水魚達がたくさん生息している。実は明神池は溶岩の隙間を通じて外海とつながり、海の干満に応じて池の水位も増減する珍しい池なのだ。笠山の頂上までは車で行ける。頂上からは萩の沖に浮かぶ、大島や羽島など小さな島々、萩諸島が見えるが、この島々も笠山と同じように1回の噴火で流れ出した溶岩で出来ている。笠山の頂上から北端の虎ヶ崎にかけての北東側には国指定天然記念物の笠山コウライタチバナが、北西側にはヤブツバキが自生している 明神池から海岸沿いに終点の虎ヶ崎まで走った。磯場に向かうと、サザエの美味しい香りが漂ってくる。香りの元を辿ってみると「つばきの館」という食堂の前でおばちゃん達がサザエを焼いている。磯場から萩諸島を眺め、さ〜て、お目当てのヤブツバキを見に行くかと、おばちゃんの前を一旦は通過したものの、その美味そうな香りの誘惑には勝てず、サザエのつぼ焼きを1ついただく。旨い。おばちゃんの話によると、この食堂は越ヶ浜漁協の婦人部の方達が運営しているのだそうだ。駐車場からヤブツバキの原生林の中まで遊歩道が完備され、原生林の見事なトンネルをくぐりながらの花見ができる。足元には、歩くのをためらうほどの、落ちた椿の花たちが美しかった [画像を表示] | |
[156] 山口県 青海島 海上アルプス | 2003.3.26 |
長門市仙崎は、童謡詩人金子みすゞと焼きぬき蒲鉾で知られる港町で、日本海に浮かぶ小島の先に沈む夕日が美しい。その仙崎から青海大橋を渡ると青海島(おおみじま)に入る。大日比峠(おおひびたお)を経て紫津浦までは波も穏やかな海岸線が続く。紫津浦湾には鯛の養魚場もあり、海上に浮かぶレストランで海鮮料理を味わうことも出来る。のどかな入り江から北側の日本海に出ると、海岸沿いに青海島キャンプ場があり、夏は多くの海水浴客で賑わうが、オートキャンプを希望する人には紫津浦の海岸沿いにある、個人が土地を解放してくれるところのほうがよいかもしれない。青海島キャンプ場は風が強すぎる恐れがあることと、林の中でテントを張れないからだ 青海島キャンプ場傍から全長約3キロのメモリアルロードと呼ばれる自然研究路が始まる。この散策路からは日本海の荒波と「海上アルプス」と呼ばれる、火成岩による奇岩怪石の美しい連なりを望める 写真はメモリアルロードの途中にある静ケ浦は十六羅漢付近の風景だ。遊歩道から海岸まで降りていくこともできる [画像を表示] | |
[157] 山口県 三隅 早春譜 | 2003.3.27 |
山口県は瀬戸内側、日本海側に限らず海岸からすぐに低山が連なる。棚田や段々畑、そして溜池のある風景が山口らしさだと思う。幼児期を下関は小月の段々畑で育ったせいか、僕の自然に対する原風景は照葉樹林と竹林、そして段々畑を流れる小川があっというまに海岸に辿り着く。つまり山から海までを見渡せる箱庭的な里山にある。加えて、山口の風景で欠かせないものといえば、なんといっても県花でもある夏みかんだ。日本での夏みかんの起源は江戸時代中期、安永年間の青海島に漂着した種を少女が拾い育てたことに始まり、明治に入ると萩から日本全国に普及し始めた。現在も青海島は大日比(おおひび)海岸の西本家に、国指定の天然記念物として原樹は残っている 写真は三隅から秋吉台に向かう途中で出会った光景だ。長い冬が終わり、待ち望んだ春の訪れを地元の人達、皆と分かち合いたい。そんな家人の気持ちが伝わってくるような、梅の舞台がさわやかだった [画像を表示] | |
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