中央竪坑のほど近くで見つけたのは、多くの従業員たちとその家族を支えてきた柵原病院。 岡山県北部地域では、初めての近代的総合病院だった。
柵原病院 /緯度34'56'32'7 経度134'04'26'3
このあたりには、柵原鉱山創業当初の大正時代から、従業員社宅が軒を列ねていた。 昭和30年代には1000戸もの社宅があり、もっとも多い時で2500人ほどの従業員とその家族が暮らしていたという。 30年代に建てられたコンクリートブロック造りの社宅群は、今も少しだけれど残っていた。