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【ヤマザクラ】(バラ科)

ヤマザクラは多摩丘陵のどこにでも生えている雑木の一つである。
あえて「雑木」と書いたのは、雑木林の「構成員」だからだ。
雑木林の樹木には共通した特性がある。
それは、根元から伐採されても、切り株から新しい芽が出て、やがて枝となり幹に成長して、短期間に元の樹と同じような大きさに育つことだ。

雑木林はかつて、10〜15年ごとに皆伐された。
薪や炭の原料だったのである。
が、いま、薪や炭の需要はほとんど無い。
薪炭林(しんたんりん)という言葉は、死語になってしまった。

お馴染みの童話のプロローグ、「おじいさんは山へ芝刈りに・・・」も、現代では意味がわからなくなっていると思う。
芝刈りとは、ゴルフ場の芝を刈ることではない。
低木を刈ったり、枯れ枝をたきぎとして利用するための作業のことであり、それはもっぱらおじいさんの役割だったのだ。
芝刈りは雑木林の手入れでもあり、結果として林床は広く、明るい状態が保たれた。

雑木林に積もった落ち葉は、堆肥として田畑へ鋤きこまれた。
こうして、雑木林は余すところ無く利用されていた。
農家にとって、雑木林は生活と密着した、かけがえの無い資源だったのである。
標高とか傾斜地かどうかに関係なく、雑木林は「ヤマ」と呼ばれる。
人と雑木林のかかわり、長年にわたって蓄積された生活の重みが、「ヤマ」という言葉には凝縮されているように思う。

薪炭も堆肥も使われなくなったのは、石油燃料と化学肥料の普及である。
雑木林の利用価値は限りなく低下した。
おじいさんは山へ芝刈りに行くことをやめてしまった。
人手不足もあって、雑木林の手入れをする人はいなくなった。
かくて、山は荒れ放題、藪また藪である。もはや「ヤマ」ではない。

あるとき、雑木林を伐採している現場に出くわした。
開発のためではない。
雑木林の手入れとして皆伐しているのである。
最近では珍しい光景だ。
見ていて感激したのは、ヤマザクラだけは切らずに残したことだ。
手入れが目的であれば、ヤマザクラだけを残す意味はない。
「ヤマ」を大切にしている人の風流心と感じた。

残されたヤマザクラは、さんさんと陽を浴びて聳え立っている。
のびのびと枝を伸ばし、葉を広げるようになった。
他の樹木と日照権を奪い合う生活から開放され、本来の姿を取り戻したのだ。
翌春、誇らしげに咲かせた花を遠くからでも眺めることができた。

「ヤマ」を守ろうとしている人がいる。
ヤマザクラは、その証として咲いている。
そのことがとてもうれしかった。