仙人力光線

富嶽仙人
01/04/26 22:34 1年間ありがとうございました


田貫湖Wダイヤ

 毎年4月20日から一週間ほど富士宮市の北部にある田貫湖が、日の出の時間に大賑わいになる





 ちょうどこの頃富士山頂から日が昇るのだ。山頂に輝く太陽と、それを映す湖面。これを称してWダイヤモンド富士という。





 期間が一週間ほどというのは、太陽がどんぴしゃ真中から昇るように見える位置が湖の北から南まで移動していき、湖畔のどこかで撮れる期間がおよそ1週間・・正確にいうと5日間ほどだが・・・という意味である。ドンピシャというのはまさにピンポイントであって、50mも移動すれば太陽と山頂との位置関係はずれてしまう



 また、この頃は天気が安定しない時期であり、富士山が見える日は限られる、そんな希少価値も手伝って、この時期の田貫湖には人がわんさか訪れるのである。



 これが一度で何枚も撮れるのならば、構図やある程度の画面処理の工夫をして、カメラマンそれぞれが個性を発揮する余地もあるのだろうが、シャッターチャンスに時間的余裕はない。だから、せいぜいレンズに息を吹きかけて曇らせ虹色の輪を付けるくらいのもので、たいていはオーソドックスに捉えるのが精一杯だ。

 

 私がこれまで見たことがある写真も、同じ場所で撮ったものは、限りなくソックリというものがほとんどだった。おそらく自分のフイルムが隣で撮った人のものと入れ替わってしまっても気がつかない程度の違いなのではないだろうか。

 

 だとすれば、最適なポイントにバイテン(8×10インチサイズの大判カメラ)から35mmまで数台のカメラを共有機材として並べて、あとでデュープでもして皆で分ければいいではないかと思のだが、もちろんそれでは満足いかないのであろう。





 で、その程度の写真を撮るために、遠くから訪れ、しかも数日前から場所取りまでしている人がいるらしい。夜明け前に現場につけばいいという心がけでは、既に駐車場も路肩も満員御礼で、撮影場所からはるか遠くに車を停めて歩かなければならないことになる・・・これも「らしい」と書くのが実は正しく、僕はその実際を経験したことはない。





 出かけてみたくないわけではない。でも僕ならば、Wダイヤを狙う人々にレンズを向けるだろう。そのほうが絶対面白い。できれば場所取りを始める人々の様子人間模様、その日の状況による悲喜こもごもを取材してみたい。これは毎朝出勤前に取材しようと思えばできない話ではないところが困るのだが(笑)





 そんなことを考えていたら、「富士山カメラマンウォッチング」とか、「富士山カメラマン列伝」とか、そんな取材も面白いかもしれないと思い始めてきた。

 

 何が面白いって人間ほど面白いものは無い。くだらないことに情熱を傾ける人間という不思議な動物の生態。これを突き詰めていくことで「人間とは、人生とはなんなのだ」という大きな命題の答えが見つかる・・・わけないか





仙人力光線連載終了のお知らせ

 さてさて、森総理の退陣とはまるで関係は無く、1年間連載してきた仙人力光線は、今回をもって最終回となる。



 最近はあまり遠出をしなくなってしまい、近所徘徊ばかりで変化のない連載となってしまったことが心苦しい。もうすこし面白おかしく書いたほうがよかったかしらと思ったり、一回一回文体も文章の量も大幅に違って統一性の無さに自分で呆れたり、反省しきりの1年であった。

 

 ご存知だとは思うが、僕はHPを持っている。そのHPでは写真を日替わりで掲載している。日替わりだから、1年で365枚の写真が必要となる。これに加えて1週間毎に替える写真が2枚あり、さらにカレンダー用の写真が毎月2枚加わり、単純に合計すると年間493枚の写真が必要なのだ。正直に言えば、前年の使いまわしも結構あるのだが、デジカメを使うようになってからは、出来るだけ旬の写真を心掛けている。意味もなく+似たような構図やテーマの写真が連続してしまうのは避けたいし、あまりに出来の悪いものを出すのも問題がある。撮影からセレクトまで結構骨の折れる作業なのだ。



 この日替わりの写真の掲載と仙人力光線が、僕の日々写真を撮り続けようという意欲の源であった。 たまには天気の良い休みの日の朝、のんびりと家で過ごしてみたいと思うし、写真機材などという無粋な荷物を持たずにブラブラと野山を歩いてみたいとも思う。それでもカメラを担いだ山歩きがやめられない悲しさ。でもこの悲しい山歩きをまだ暫くは続けたいと思っている。仙人力光線はこれで最終回になるが、これと似たコンテンツは、また僕のHPのほうで継続するつもりだ。暫くお休み中だった(そうアナウンスしていたわけではないけれど)「山の記憶」というコーナーをを復活させようと思っている。興味のある方はHPほうにもぜひお出でいただきたい



1年間ありがとう。またどこかでお会いいたしましょう。




01/04/22 23:03 カタクリ


 御坂山地を越えて甲府方面に遠征した。今日はぜひカタクリを撮りたいと思って出てきたのだ。

 

 

 富士宮市内にもカタクリは咲くのだが、私の知っている場所ではとっくに終ってしまった。それに、その場所はロープが張られ、撮影は望遠マクロレンズでもなければ出来ないような状態なので私にとっては「見る」ためだけの場所に過ぎない。はたして御坂町の群生地はどんな状態なのだろうか。

 

 

 国道から林道を少し入ったところに群生地はあった。いや、実は一度行きすぎてしまい戻ったところで見つけたのである。看板もなにもない。もちろん遊歩道もロープもない。花の密度はそれほどでもないが、花は比較的大ぶりである。色はやや薄めで富士宮のカタクリと似たようなものである(僕のカタクリの基準は戸隠のもので色がここのよりも濃いのだ)。





 全く無名の場所ではなく、少しは知られた場所だとは思うのだが、花を見にくる人・・・ましてや写真など撮ろうとする人は全く来ない。林道はすれ違うのも困難な幅だし、駐車スペースだってほとんど無い。もし、こんなところに花見物人が大挙して訪れたら大変だろう。僕と同じようなカメラマンが100人も入ったらもう群生地は踏み固められてしまってヒドイ状態になってしまうに違いない。

 

 



 

カタクリ 山梨県御坂町 2001.4.22








 一人であるのを良いことに撮影を十分に楽しんで山を下りた。

 

 

 その足で、牧丘町へ。

 桜は飽きたといいながら、また桜である(^^;

 膝立の天王桜と呼ばれるエドヒガンザクラ。今日が初めての訪問である。

 花は散り始めていたが、遥かな時を刻んだ幹と枝ぶりの風格と迫力は圧巻だ。

 

 



 

膝立の天王桜 山梨県牧丘町 2001.4.22






 

 牧丘町には枝垂れ桜も多い。風に揺れて花びらを散らす姿があちこちで見られ、その他、桃、スモモ、ミツバツツジ等が、果樹園や民家の庭先を彩っていた。

 

 



 

桃源郷 山梨県牧丘町 2001.4.22










 1年間続けてきました仙人力光線ですが、4月で連載終了となります。最終回は25日頃掲載予定です。

うーん、何を書こう・・・なにも決めていない(^^;;







01/04/22 23:03 十里木高原


 十里木高原は富士山と愛鷹山の間に広がる標高約1000mの高原である。富士サファリパークや富士山こどもの国などという広大な観光施設があって、手つかずの自然が十分に楽しめるといった場所ではないのだが、草原や雑木林も結構あって、ご近所徘徊という気軽さでときどき出かける。

 

 

 桜前線は里からおよそ3週間かけてここまで登ってくる。ソメイヨシノよりひと足早く花を開くフジザクラ(マメザクラ)がちょうど満開だ。撮影中に林の中から鹿が飛び出して軽快なステップで走り抜けていった。銀塩カメラなら捉えられたのだが、デジカメの起動の遅さでは撮影が間に合わなかった・・残念。

 

 

 最近は鹿やカモシカを良く見かける。これらの動物は多いほうが良いというものではなく、増えるとその食害が深刻な問題になってくる。最近、富士山に自然林を取り戻そうという運動が盛んで、ボタンティアを募って植林活動がよく行われているのだが、折角植えた若木の芽を食べてしまってダメにしてしまわないかちと心配だ。

 

 





ダンコウバイ 2001.4.21


ダンコウバイと書いたがアブラチャンかもしれない(^^;;

近づいて花を確認すればわかるのだが、これは少し離れて撮ったもので

実は区別がついていない。

信州では、両者ともジチャ(ダンコウバイはシロジチャ)と呼ぶらしく、

わからないときは信州式にそう呼んでおくのがよいかもしれない。









フジザクラ 2001.4.21


小振りの花を咲かせるフジザクラ

富士山麓に多い。









草原のコブシ 2001.4.21


コブシがあちこちに咲いていた。

もうすこし場所を考えればもっとよい絵が撮れただろう。

雨が降り始めてきたこともあって、かなり手を抜いてしまった。









林床のゴミ 2001.4.21


いつもいつも思うのだが、なぜこうなんでしょうか。





 


01/04/18 23:50 桜前線取材前半戦


 さてさて、突如目の前に現れた「桜前線」の進軍状況に驚愕し、あたふたと桜行脚を始めた4月初旬。

 

 3月下旬の暖かさに誘われて開花を早めた里の桜は月末の寒波でフリーズして、かなり長い期間ほぼ満開の状態を保ってくれていた。これは僕ら写真家にとっては撮影機会により恵まれるという意味で大変有難かったのだが、しかしこの寒波のあと、再び急激に暖かくなって例年の2倍くらいのスピードで、一気に桜前線が北上したため、自分で見込んだ開花予想がはずれるケースも多かった。

 

 今シーズンの前半戦の桜取材場所を挙げてみると、ざっとこんな感じである。



 4月1日  静岡県芝川町柚野興徳寺  満開

 4月5日  山梨県大月市岩殿山    ソメイヨシノ7分〜満開

       山梨県塩山市慈雲寺    イトザクラ3分

       山梨県塩山市恵林寺    ソメイヨシノ満開

       山梨県山高神代桜     エドヒガン3分

       山梨県鰍沢町大法師公園  ソメイヨシノ満開

       山梨県身延町鏡圓坊    シダレ散り始め

       静岡県芝川町柚野興徳寺  シダレ散り始め

       静岡県富士宮市大石寺   ソメイヨシノ満開、シダレ散り始め

 4月7日  静岡県富士宮市大泉寺   ソメイヨシノ満開〜散り始め

       静岡県富士宮市浅間大社  ソメイヨシノ満開〜散り始め

       静岡県富士宮市大石寺   ソメイヨシノ満開、シダレ散り始め

 4月13日 静岡県富士宮市富士桜自然墓地公園  ソメイヨシノ満開

       静岡県富士宮市狩宿下馬桜 シロハナヤマザクラ散り始め

 4月14日 静岡県富士宮市田貫湖畔  ソメイヨシノ満開

 4月15日 山梨県河口湖畔      ソメイヨシノ満開

 

 もちろん写真を撮らずに眺めただけのものを加えれば、まだまだある。

 咲き始めの頃は、「桜だ、桜だ」と追いかけるのが楽しいのだが、流石にこれだけ眺めると少々飽きる。すでに15日の河口湖ではほとんど写真を撮る気力が無くなっていた。桜を見ても感動しなくなってしまうのである。

 「桜はパッと咲いて絶頂で潔く散るのが美しいのだ」

とはよく言ったもので、ずっと見続けていると有難みが失せるものなのであろう。







山梨県大月市岩殿山 2001.4.5


初めて出かけた岩殿山は桜の山としては名前の知られた山だったので期待したのだが、

印象は、うーん大したことないかも・・(^^;

満開にはちょっと早かったからかもしれない。







静岡県富士宮市大石寺 2001.4.7


ほぼ毎年出かけている市内の大石寺

桜の密度は市内一である。







静岡県富士宮市富士桜自然墓地公園 2001.4.13


ここは標高が高いため市街地よりも若干開花が遅い。

桜の色が濃く、奇麗には違いないのだが、どうも硬質な感じがして自分としては好きではない。







静岡県富士宮市狩宿下馬桜 2001.4.13


源頼朝が富士の巻狩のとき馬を繋いだと伝える樹齢800年余りのシロハナヤマザクラ。

天然記念物のこの桜の全景は、かつて

「気分はネイチャーフォトグラファー」

(http://www.yamatabi.net/main/hugaku/vol_4/vol_4.htm)

で紹介したことがあるので、今回は部分を紹介。





 


01/04/08 15:14 春の雪景色


4月1日



 降雪の翌日。これがまた悩ましい。

 

 富士宮市街やおとなりの芝川町などではちょうど桜が満開である。春・春・春なのだ。

 でも、昨日は山の方には雪が降った。雪・雪・雪なのである。

 

 どちらを取ればよいのだ・・・どちらを・・・苦悶する夜(全くどうでもいいような話だが)

 

 梅雨時は早く夏が来ないかと待ち遠しく、初秋の頃は早く山が紅葉に彩られないかとこれまた待ち遠しく、さらに晩秋には白い季節の到来がこれもまたまた待ち遠しいというように、僕の場合たいていは次の季節がやって来るのを手ぐすね引いて待ちかまえているのであるが、こと「春」に関してだけは「冬」に後ろ髪を引かれる思いで、これからやって来る春を無邪気に歓迎する気持ちになれない。

 

 これはおそらくこういうことだと思う。

 

 夏は、なかなか撮影日和に恵まれない梅雨が早く明けないか、長期の休みが早く来ないかという期待感をもっているので、待ち遠しいのは当たり前。

 

 秋、僕は9月下旬から北アルプスで紅葉の撮影に入る。そしてそこから徐々に標高を下げ、さらに南へと下ってくる紅葉前線を、自分の方から遠征して迎え撃ちながら秋の数ヶ月を過ごす。だから1月になって自分の周りに紅葉前線が到達したころには、すでに十分秋に慣れているのだ。これは冬を迎える場合も全く同じだ。

 

 ところが春は逆である。冬景色にばかり目が向いていて春を迎える気持ちに全くなっていない体勢のところに、4月の声を聞くやいなや、春が足下から一気に萌え上がって、気がついたときには既に完全に春に包囲されてしまっている。僕は突如目の前に現れた「桜前線」の進軍状況に驚愕し、たじろぎ、そして妙な焦燥感を味わうことになる。

 





朝陽のとどく三ッ峠






 

 結局、桜前線から逃避して三ッ峠に出かけることにした。これで今年3回目・・・アホである。

 午前四時半登山口着。山頂で夜明けを迎え得るというのが、この手の撮影行の基本なのだが、彼岸も過ぎた今日この頃、陽が昇る時間は冬に比べて悲しいほどに早くなり、寝ぼすけの私にはとてもとても間に合わない。太陽の光が三ッ峠山頂に届くころようやく三ッ峠山荘の前に到着。

 





春の雪化粧






 

 束の間の冬の風景である。湿気の多い春の雪はしっかりと木々に付着し、降雪量の割にはボリューム感のある雪景色となっていておおいに満足。富士山そっちのけで木々と雪との共同作業による芸術品を撮りまくった。

 

 








 夜明けまでは寒いが日があたると気温はどんどん上昇。この雪景色も長くは持たないだろう。山頂まで上がってノンビリパノラマ展望を楽しんだ後、下山。


01/04/06 22:30 花冷え


3月31日

 暖冬の予測の今年の冬だったが、1月には強烈な寒波が襲来、記録的な大雪も降った。そして、富士山麓の精進湖、河口湖、山中湖は例年よりも長期間結氷し、久々に冬らしい冬景色を我々に見せてくれたのである。



 しかし、その帳じりを合わせるように、2月後半になって寒さは急速に緩み、春が一気に騒ぎだした。梅は慌ただしく花を咲かせ、桜も開花の準備を早めた。里の桜は4月の声を聞く前に満開となった。

 

 ところがである。今度は帳じり合わせが過ぎたのか、再び寒さがやって来た。

 3月31日・・・年度締めの降雪。

 

 馬鹿な私はまたフラフラと北へと車を走らせたのであった。

 「おー、雪だ、雪!」

 





朝霧高原では吹雪といってもよいほどの勢いで雪が降り、数センチの積雪を記録した。








 流石に、富士宮市街では本格的な雪にはならなかったが、冷たいみぞれに満開の桜が濡れていた。まさに「花冷え」の風景であった。







富士宮市村山







01/03/26 22:11 春へ・・・篠井山


 起きたらもう外は明るかった。





 6時半、普通の生活では早起きと呼べる時間なのかもしれないけれど、自然写真家が朝の仕事をするには、すでに遅すぎる。そう、早い話が寝坊したのだ。





 はて、どうしよう。

 いまさらジタバタしても仕方が無いので、近所の山に登ることにした。

 手軽に登れる篠井山。

 





福士川渓谷












林道脇にはフサザクラが咲きかけていた








 山梨県富沢町、福士川渓谷の上流、町営の温泉施設からさらに林道を上がったところに登山口がある。数台おける駐車スペースには、まだ車は一台も無い。

 





篠井山登山口 ここから山頂までは約3.5km 一時間少々の道のり








 道は十分整備されている。登山道入り口からは山頂までは3kmとちょっと、しかも100m毎に山頂までの距離を示した標識が立っているので、あとどのくらいかが常にわかるという至れり尽せり。





 林道のどんづまりに、まだ幼いカモシカの屍骸を発見。鳥が突付いたのか、周りに毛が散乱しているもののまだ傷みは少なく、目も見開かれたそのままだ。場所が場所だけになにやら人の関与の匂いもする。猟の巻き添えを食ったのかもしれない。しばし合掌。

 





春先の死・・・カモシカの屍








 さて、ここからは登山道になる。途中までは沢を詰めていき、あとは九十九折で標高を上げていく。道標が残り1kmを示すあたりから登山道に雪が目立ち始める。雪といってもなんども解けては凍ってを繰り返しているため、ほぼ氷と化し、とても上を歩けるものではない。持参のアイゼンを装着。それでも斜面のトラバースなどちょっとおっかなびっくりで通り過ぎる。







頂上直下―白い世界から着々と春の色へ








 山頂直下は一面雪に覆われてはいるものの、木の周りにはまあるく土が覗く。冬は確かに終わりを告げ、春の香りがどこからか漂ってくるようだ。振り返ると木々の間から十枚山が見えた。そちらはまだまだ真っ白で、冬将軍が最後の踏ん張りを見せている。しかしこれも一日一日春の装いに変わっていくに違いない。





山頂からの展望はさらに春っぽく、山麓の風景も、その向こうの富士山も淡く霞んでいた。







頂上から・・・霞む富士山を眺める







01/03/21 22:33 富沢町六地蔵御顔復活仮法要


 富沢町に富士山の撮影地としても知られる六地蔵がある。

周辺は狭いながらも整地され六地蔵公園と呼ばれる広場になって親しまれていた。





 ところが、この六地蔵、1998年12月に何者かによって首を落とされ頭部を奪われてしまったのである。





 以来六地蔵は首無し地蔵となっていたのだが、「首なしでは忍びない」との声を受けて、福寿院が全国から集まった寄付金を基に、 新しく顔を造り直して残された胴体に繋ぎあわせるという形で復元した。





 六地蔵にはまだ昔の頭が着いていたころに一度訪れたことがあった。その事件があった後、富沢町はしょっちゅう通るのものの、六地蔵には一度も立ち寄る機会のないまま今日まで過ごしていた。本当は首の無い六地蔵も撮っておかねばならないなあと内心は思ってはいたのだ。





 今日、町内の篠井山に登った後、なぜか、いつもなら寄ることはない六地蔵にふっと寄る気になったのだ。いや実は一旦は六地蔵方面に行く分かれ道を通りすぎたのだが、なにか気になってわざわざUターンしてそちらに向かったのである。





 公園の駐車場には山梨のローカル局の車が停っていた。御地蔵様のところまで行ってみると無くなっているはずの顔がついている。おや? 地元の人たちが数人東屋のなかで話し込んでいる。何かありそうな気配・・・そう思っているとさらに続々と人が集まってきて、なんとNHKのスタッフも到着。





 そう、御彼岸の中日である今日が、御地蔵さんの御顔復活仮法要の日であったのだ。集まっていたのは檀家のみなさん。報道関係者のほかカメラマンは私一人。





 法要があると知っていればもうちょっとまともな服装で来たものの僕の格好は山から下ったまんまのとんでも無い格好だ。とても申し訳ないのだが、それでもこんな良い日によい行事に立ち会わない手はない。ということで法要の時間まで待ってちゃっかりその様子を撮影してきたのが下の写真である。





 

 御経をあげながら御地蔵さんの顔にかぶせられた布を取っていきます。




 


 


 

 御焼香




 


 


 


 古い頭部は風化し人相?、仏相?がはっきりしないものでしたが、新しいお顔は

綺麗でやさしいお顔をしています。接着剤で着けたそうですが前掛けがあるおかげで不自然さもさほどなくいい感じで収まっています。集まったお寺の檀家の皆さんも喜んでいました。


 

 

 首の無い御地蔵様を撮れなかったのはちょっと残念ではあるが、今日復元供養の今日、御地蔵さんが僕を呼んでくれたということは、きっと首の無い姿を見られたくなかったのだろうと思うことにした。

 

 

 それにしても、腹の立つのは地蔵の頭部を持ち去った奴のこと。恐らくマニア?の仕業だろうからら、おそらくどこかに無事にあるのだろう。こちらのほうも返ってくるとよりHappyなのだが。



 

01/03/20 22:27 月光




満月の夜は思ったよりも明るい。



街にいると月の光の明るさをそれほど意識することはないと思うが、その明るさは、人工の光りが無くとも、なんの問題もなく夜道を歩けるほどである。



これだけの明るさがあれば十分写真も写る。

富士山の西麓、富士宮市田貫湖畔の「休暇村富士」前の展望テラスで深夜三脚を立てシャッターを開いた。



 


 

 富士宮市 田貫湖畔 2001.3.10 3:00頃


長時間露光で月光に浮かぶ富士を撮る


 


 

東麓では、月が富士山に近づき始める。

月が富士を照らし、残雪が青く輝く。

 

 


 

 小山町 須走 2001.3.11 5:30頃




 


 

 やがて太陽の光が山頂に届き、山頂を紅に染める。

 

 そのとき月は稜線に没した。



 


 

 小山町 須走 2001.3.11 6:00頃

 




 

01/03/15 23:43 三ッ峠再び


3月8日

 今年二回目の三ッ峠になる。





 普段は

「写真など、そのとき出会った光景を自分なりの感性で切り取ればいいのさ」

などとしたり顔で言ったりするものの、撮影行にはやはりかなりの「読み」が入る。

たとえば、

「今日は冷え込みそうだから、霧氷をちょっぴり期待」

などという具合。



まあもうちょっとマシな読みはするが・・・ホントかよ。



 

 御坂峠手前の三ッ峠登山口に午前4時半到着。休日ならばもうカメラマンがわんさかいる時刻だが、今日は平日である・・・人影がない。

 

 身支度を整え登りだしたのが4時50分くらい。1月は機材フル装備で、おまけにプラブーツまで履いて登ったが、今日は雪の深さはないから軽登山靴にした。おかげで足が軽い。しかしながら道はアイスバーンなのでアイゼンを着用する。

 

 徐々に回りが明るくなってきた。この時点でもう霧氷はだめだというのは判ってしまう。当然歩みが遅くなる・・・。

 

 小一時間で三ッ峠山荘前の展望地に到着。朝の大撮影会を展開。

 

 


 

 三ッ峠山荘前。

一月から二月にかけてたっぷりと降って積もった雪がまだ残っている。


 


 

 いつもならカメラマンが数名並ぶのだが今日は僕の他には誰もいない。なんともいい気分。いつも平日に登れるという人たちが羨ましい。小屋も閑散としている。どうやら宿泊者はいないようだ。平日と言えども1月、2月には、何日も泊まりがけで富士山を狙っている人がいると聞くが、3月は霧氷の機会も減って、劇的な光景に出会える可能性が少ないと言う判断で足が遠のくのだろうか。

 

 

 本当は僕はここから三ッ峠の三つのピークのひとつ御巣鷹山を越え、清八峠を回り三ッ峠登山口に戻ってくるコースを考えていたのだが、御巣鷹山から先のトレースがない。もちろんラッセルで前進することは可能だがその気力はとても湧かず今回は撤退した。御巣鷹山山頂のアンテナ施設の回りには僕と同じようにトレースを探して歩き回ったと思われる足跡が沢山ついていた。やはり皆、ここであきらめたらしい。

 

 


 

 三ッ峠(開運山)山頂からの西方展望。

三ッ峠からの展望は富士山だけではない。

御坂山地はもちろん南アルプスや八ケ岳、

さらに空気が済んだ日には北アルプスまで見通せる第一級の展望の山でもある。


 


 

 三ッ峠登山口に戻る周遊コースとしては木無山から西川林道に下るコースも考えられたけれど、いったん切れたテンションはもうあがらず、結局そのまま往路を戻ることにした。



 


 

 ぞくっとするほどの光景が突然目の前に現れる。

 




 


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