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木曽福島から国道361号線を開田高原、朝日村を経て、ようやく高山に到着した。長い道のりだった。さすがに腹ペコで、適当な蕎麦屋に入り昼飯を食べる。久々の高山だが、相変わらず観光客は多く、店も賑わっていた。有料駐車場に車を停め、三町の古い町並を散歩する。最初に高山を訪れたのは昭和50年、大学3年の時だった。北海道を一周し、海岸線沿いに青森、秋田、山形、新潟まで走ったところで友人達と別れ、そのまま一人佐渡に渡り、フェリーで富山にぬけ、そこから高山本線に乗り、高山に出た。レンタサイクルを借りて町はずれまで適当に走っていると、1軒の貸し本屋があった。当時でも東京では貸し本屋は既に見られなくなっていて、懐かしさがこみあげ、さっそく入店して本棚を眺めていると、体に鳥肌が立つのが分かった。手塚治虫の「0マン」など発刊された当時の単行本がズラリと並んでいるのだ。昭和30年〜40年頃まではコミックとは呼ばず、漫画、あるいはマンガが主に使われていた。この手の単行本の漫画は床屋で読むか、貸し本屋で借りるかが常であった。目の前の稀少な漫画達には、貸し出し料金1日10円の値札が付いている。店には年老いたお婆ちゃんがいるだけだった。僕はお婆ちゃんにいくつかの本を売ってはくれまいか相談してみた。お婆ちゃんは「どこから来たのか」と訪ねてきたので、「東京から来た」と応えると、「こんな漫画本でよければ」と、とても安価な価格で譲ってくれた。それ以後、幾度か高山を訪れているが、ここの人達は本当に親切だ。来るたびに心が安らぐ。町中にレイドバックした空気が漂っているんだな
写真は高山の町を散歩していた時に出会った、民家の畑に咲くフキノトウだ。田圃の畦道や渓流沿いに咲くフキノトウとも違う、不思議な光景だった
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