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大歩危(おおぼけ)は埼玉は秩父長瀞と同じく、結晶片岩が露出した、切り立った崖が約8Km程続く吉野川の渓谷だ。おだやかな瀞の間に時折急流の瀬が現れる
僕の場合、撮影ポイントを最初から決めて旅に出るということは殆どしない。行きあたりばったりというか、出会った風景をメモ撮影するというのが流儀。天候も気にしない。撮影はあくまで旅先で、僕が現地を見て感じた、その時空間のメモであれば良いと思っている。その場所に居合わせた自分の気持ちが、どこにあるのかを確認することを一番大切にしている。だから絶景を撮ることを目的にはしていない
しかしプロカメラマンは勿論、アマチュアカメラマンでもテーマを持ち、それを追いかけていると、僕の場合とは逆に、撮影ポイントや天候、風景の色彩は重要な要素となってくるケースは確かにある。例えば鉄っちゃんが大歩危小歩危を撮影する場合は、土讃線が吉野川鉄橋を渡るカットは欠かせない。あるいは吉野川と鉄道が並行に走る風景を俯瞰するために山の上のポイントを探す。多くの場合、ベストポイントは一ヶ所、あるいは数ヶ所ほどと少なく、それゆえにカメラマンが集まり、場所取り合戦が繰り返される。う〜ん..大変やなぁぁ
昨今は風景写真でも同様に場所取り合戦が頻繁に起こっている。このようなポイントは大概マスコミで発表されたプロカメラマンによる作品の場所だったりする。そしてこの種の風景写真愛好家達は、プロカメラマンが撮影した風景を単にコピーするためにだけ、その土地に来ているケースが多いように感じる。彼等を観察していると、周りの様子を興味深く観察しようとは思っていないらしいことが伝わってくるからだ。ポパイやホットドッグプレスなど、情報誌が発信する作られた流行を疑いもなくなぞっていた、当時の若者達の姿とオーバーラップしてしまう。そろそろ自立するということを本気で考えてみようよ
プロカメラマンは、自身の決めたテーマを展開するために、その土地の周辺をつぶさに観察する。そしてその土地の持つ魅力を最大限引き出せるポイントと季節、天候、時間を決定して撮影している。しかし、それは、あくまで彼の解釈であり、他の人はまた違った視点で全く違う風景をベストだと思うかもしれない。むしろそのほうが自然ではないだろうか。川が好きならば、今回僕が撮影したカットのようなポイントを探すだろうし、鉄道ファンならば大歩危小歩危を走る車両の美しさを、一番うまく表現できるような場所を探すだろう。どちらもそこには明確な意思がある。決して誰かの作り出した風景のコピーを目指しているわけではない。自分で見つけた、とっておきの風景。それは一期一会かもしれない。しかし、この出会いをきちっと記録することこそが、写真の醍醐味ではないだろうか
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